歌舞伎を救った米国人をご存知ですか?

先日、2003年7月14日(月)東京中央新ロータリークラブにて、株式会社歌舞伎座代表取締役副社長 宮崎恭一様のご講演を拝聴いたしました。そのタイトルは、ずばり、「歌舞伎を救ったアメリカ人」。

奨学生の皆さんは、先日の歌舞伎鑑賞教室で、「江戸開府と歌舞伎の歴史は同じく400年」であることを学びましたね。はじめは「かぶく」という言葉であったこと、歌舞伎の始まりは1603年(慶長8年)、「 出雲の阿国 (いずものおくに)」 という女性が、京都の四条河原(しじょうがわら) で演じた かぶき踊り にあるといわれていることも、ご存知ですよね。

でも、まさか戦後、GHQが歌舞伎は「日本の民主化の妨げになる」として、菅原伝授手習い鏡や、忠臣蔵などを含め、歌舞伎は3年間の上演休止を申し渡される寸前だった、ということは、ご存知なかったでしょう。(かく言う私も、宮崎様のお話を伺って、初めて知りました。)

そこへ現れたのが、マッカーサーの副官、フォービアン・バワーズさんです。

簡単に彼のプロフィールをご紹介いたします。オクラホマ生まれで、Native Americanの血を引く彼は、ジュリアード音楽院卒業後、東洋音楽を学ぶため、インドネシアへ旅立ちます。途中立ち寄ったのが、日本。

そして、たまたま銀座へ。
そこで、たまたま、お寺と間違えて入ったのが、歌舞伎座。
そこで、たまたま主演をつとめていたのが天下の橘屋。

もともと芸術的センスにあふれていたバワーズ氏は、その様式美にたちまち魅了され、インドネシア行きを取りやめて、毎日のように歌舞伎座へ通ったのです。その結果、誠に歌舞伎に精通した人物となりました。

その後開戦のため米国に戻り、終戦後マッカーサーの副官として再び来日。
彼は厚木基地へ降り立ったとき、記者に向かって開口一番、

「十六代目はお元気ですか?」

ところがGHQの方針で歌舞伎が休演の憂き目に遭うことになり、彼は自ら歌舞伎を救うために副官を辞職して、民間情報調査局に転職。

歌舞伎は、様式美の中に自然美がある。これをつぶすのは、日本の伝統文化をつぶすことになる、と、懸命に同僚に説いて回ったのです。

そして昭和22年、ようやく忠臣蔵が上演され、彼は昭和23年、米国へ帰国しました。

彼の類稀なる感性が、異国の芸能、文化、伝統を救ったのです。